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ご紹介案件

瀬戸内ブランドの構築を
事業支援(経営支援・資金支援)する
株式会社瀬戸内ブランドコーポレーションの
経営トップポジション

瀬戸内7県や国、「一般社団法人 せとうち観光推進機構」などが連携し、日本版DMO(※)のさきがけとして注目されている「瀬戸内ブランド推進体制」の一環で、瀬戸内地域の地方銀行7行および日本政策投資銀行などが中心となって発足する株式会社瀬戸内ブランドコーポレーションの代表取締役社長として、水上圭氏をご紹介しました。

※DMO・・・
Destination Marketing/Management Organizationの略。「観光地経営」の視点に立って観光地域づくりを行う組織・機能のこと

事業投資やファンド運営など、各界の専門家を集め、
地域ブランド構築を加速させる新組織が誕生

この仕事を
選んだ理由

仕事人生も、残り10年。
初心に戻ってワクワクしたいと思った。水上 圭 氏

投資の経験を活かしながらも、
新しい領域にチャレンジしたかった

投資には、お金儲けの側面と企業の成長支援の側面がありますが、私が常に心掛けてきたのは後者。投資をして終わりではなく、3年、5年というスパンで企業を成長させていくことがミッションであり、投資先企業の経営陣・従業員の方々と一緒に汗をかく仕事です。そんな中長期的に企業価値を高める仕事の集大成として、ある企業のMBO(経営陣による買収)からIPO(株式上場)までの支援をし、成功を見届けたときに、やりきった感を感じたのです。

50歳になって、60歳まで働くとすると、残り10年。最後の10年間は初心に戻って、何か新しいことにチャレンジしたいという気持ちがそこで芽生えました。いくつかオファーもいただきましたし、自分で起業することも考えましたが、「ワクワクするかどうか」で選んだときに、一番ピンときたのが、今回の「せとうち」のお話でした。自分自身が携わってきた投資の経験をフルに活かしつつ、新しい領域(観光業)にチャレンジできることに魅力を感じたのです。

「せとうち」が一体となって
本気で取り組むプロジェクト

投資をするときにも、机の上で情報を読み込むだけでなく、自分の目で見て、話を聞くことが大事であることを実感していたので、話をいただいた後、まずは現地に足を運びました。レンタカーを借りて、自らの足で一つひとつじっくりと見て回った。そこで感じたのは、「瀬戸内海とはこんなにも美しいところだったのか」ということ。特に夕暮れ時には、何とも言えない感動的な景色が広がります。

地中海になぞらえるような内海というのもユニークで、観光に必要な「自然」「文化」「歴史」「温泉」「美味しい食べ物」などがすべて揃っている。一方で、観光地としてはまだまだ熟成されていない部分があって、投資観点でもものすごいポテンシャルが眠っていると感じました。

さらに、7つの県や国、地元の金融機関などが一体となって、本気で取り組んでいこうとしている。こんな好条件が揃ったチャンスはなかなかありません。一企業だけでなく、地域の産業集積全体をダイレクトに支援する。これこそが自分のやりたいことだ、と心底思いましたし、このようなオファーをいただけたことに、とても感謝しています。

ここで成功例をつくり、
日本全体へと波及させていきたい

強いて言うならば、初めての単身赴任となるため、プライベートな面で妻と3人の子どものことは気になりました。しかし、便利な時代になったもので、毎朝スカイプで会話をするようにしたり、週末は東京に帰るようにすれば、実はこれまでの生活とさほど変わらないのかもしれないな、と楽観的に考えています。

また、仕事面での不安もまったくありません。実際に見て回り、関係者の意気込みも感じて、「これはいけるな」と実感しているからです。例えば、観光船で瀬戸内海をクルージングできるようにして、何カ所か高級なリゾート地をつくる。それらをベースに、景色を楽しんだり、食を楽しんだり、温泉を楽しんだり・・・「せとうち」をそんな魅力的な観光地にしていきたい。それを「補助金ありき」ではなく、「投資」として成功させることが私の使命だと思っています。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けてインバウンドも含めた「観光業」は追い風の状況にあるので、ここで成功例をつくることができれば、きっと他の地域にも活かすことができる。そうして日本経済全体を活性化していくことが、私の仕事人生最後の10年の挑戦です。

Profile

水上 圭 氏(略歴)

1988年3月
慶応義塾大学法学部政治学科卒業
1994年4月
米国ミシガン大学経営大学院修了 MBA取得
1998年4月
山一証券株式会社入社。株式会社博報堂、スリーアイ・アジア・パシフィック・ジャパン株式会社、日本みらいキャピタル株式会社を経て2004年6月CVCアジア・パシフィック・ジャパン株式会社入社。2005年12月同社代表取締役就任、2015年7月同社退社。